お祭り
お祭りは嫌いだ。
にぎやかな雰囲気。全体が浮かれ気分で一つの塊と化した、あの場。
家族連れ。小学生の男の子たち。高校生か大学生くらいのカップル。一人のおじさん。
法被を着た人たちが、カフェから出て行こうとする。これからおみこしでも担ぐのかな。
昨日、お昼を食べに外に出た。午前中は大雨だったが、そのころは少し雨も収まりつつあった。予報では、これから雨が上がるらしい。
お祭りはたしか朝からだったはずから、とっくに中止になったんだろうとばかり思っていたが、違った。
交差点では、警察官が交通規制をかけていた。どうもこれからやるらしい。
たしか4年ぶりとか言ってたっけ。人々がお祭りにかける熱は、雨が降ったくらいでは冷めないらしい。
とにかく空腹だった。ステーキが食べたくなって、駅のほうのステーキ屋へ向かった。
設営準備にせわしないいつもの通りを歩いていて、今日はかなり風が強いことに気がついた。これほどまでの強風は、ここしばらく出会ったことのないレベルだ。少し嬉しくなった。
ワイルドステーキ200gを平らげて、店を出た。
雨も風も止んでいた。
カフェで読書したあと、少しだけ「参加」したくなって、家と反対方向へ向かい、お祭りの中へと入っていった。
通りは、お祭り特有の匂いが充満していた。業務スーパーで買ったような焼き鳥(じっさい、箱がそのまま置いてある)を、みんな美味しそうに食べている。とても楽しそうだ。
途中で買うものを思い出して、ドン・キホーテへ入った。
買い物袋を持ってお祭りの通りに戻ってくると、すごい人だかりにのまれた。
もともとそこまで広くはない歩道に屋台があって、道行く人たちがその屋台をみては立ち止まり、またみては立ち止まり、なんてことをやっているから全然進まないわけ。
イライラする。
そしてそれとほぼ同時に強烈な浮遊感に襲われた。一瞬、空中に浮きそうになった。
お祭りというのは、今の社会と自分の関係性の縮図だ。
世の中が浮かれようが沈もうが、自分はその輪の中に参加してなくて、ただ在るだけ。そんな私は、世界が滅んだとしても無関心であるに違いない。
自分の中の声に、耳をすませる。社会と断絶した自分のままでいいのかと自問する。別にいいんじゃない、という返事が返ってくる。
「他者からの観測がないと存在しない」という考えは、正論なはずだ。
にもかかわらず、それを本気にしない自分もいる。どこか精神がマヒしたような感覚とでもいえばいいか。
「何かに気づく」ということは、「今までそれに気づかなかった」ということだ。そのこわさがある。
そしてそれのことを「ゼロをプラスにする」と捉えられずに「マイナスをゼロにする」という考えをもってしまう性根の問題もある。
ほんとうは、気づいていた。社会で起きていた問題は、何もかも。耳に入ってきたことは、本当はぜんぶ聞こえていた。いろいろな問題に対して、ぜんぶ気づかないふりをしていた。
そして今も、気づかないふりをしていたことに、気づかないふりをしている。
それに気づいてしまった。
全部嘘だけどね。
雨が降り、風が吹いて滅んだ世界でようやくぼくは、お祭りが楽しかったことに気づくのだろう。
全部嘘だけどね。